2023年12月5日
ハッセルブラッドという名をご存知だろうか。
僕の周りの人達は大半がその名を聞いた事が無く、この先も知る事が無いという人がほとんどだろう。
それは年齢こそあるが、そもそもカメラメーカーを知ろうとする者が少なく感じる。
(和歌山では笑)僕自身、ハッセルブラッドを
知ったのもここ一年の中で、あまりデカい顔して語れる者じゃない。
が、題名を「僕のハッセルブラッド」にしてしまったばかりに、少々恥ずかしく感じている。
だが、そんなことはどうでもいい。
HASSELBLAD(ハッセルブラッド)とは150年以上の歴史を持つスウェーデンのカメラメーカーである。
なぜハッセルブラッドという名を大々的に出しているかというと、
何を隠そう僕の愛用しているカメラだからである。「ハッセルブラッドって高いでしょ?」
「なぜ、21歳がそんな良いカメラ持てるの?」となると思う。
もちろん、隠しようもない程に、ローンなのだ。ローンとは凄いものだ。
こんな高額な物を一括で買える訳もなく、憧れが強すぎる故に、
我慢できない性格の僕にはうってつけのサービスだ。(苦労するのは自分だが。)
と、ローンに感動している場合ではない。
ここで僕がこんなにも高額なカメラを買おうと思った理由や、
写真を撮るという事を始めた理由について話そうと思う。(誰が知りたいねん笑)
僕は高校卒業後、カメラとは全く無縁な和歌山の企業で働くことになった。
この仕事がしたいという訳でも無かったが、
大学生になるのも僕の中で違ったのでお金を貯めて辞めるという事を決めて入社した。
会社にとっては凄く迷惑な存在だっただろうな。
そして何かしらの準備はしないと、と考えてはいたので、
ファッションに興味があったのでSNSを頑張ってみたり、
服を売ってみたりした。
だが、僕の中で「何か違う」が纏わりついていた。
その当時もカメラを使ってファッション写真を撮っていたので、
写真を好きだという事には気付いていたが、行動には起こせてはいなかった。
ある日、友人達と鳥取県に行った際にたまたまInstagramで見つけた植田正治写真美術館に行くことになった。「外見が綺麗だな、不思議だな」と軽い気持ちで行ったのは束の間、
中に入り写真を見ると釘付けになり、僕は動けなくなってしまった。
人が写真を撮り、一生に残る建物にその人の生きた証として受け継がれていく。感動した。
大いに感動した。写真は元々好きだったが、
それがトリガーとなり、動き出すキッカケと
なった。が、僕のことはどうでもいい。
伝えたいのはここからだ。
ある日、ファッション写真を撮る中で人づてにある方の名前を聞いた。
「大阪に凄い写真家がいる」と。その方こそ、僕の師、いや恩人と
言うべきか、写真家の吉川幸宏さんである。
すぐにInstagramをフォローさせて頂いた。
そして運が良かったのが、その頃に丁度アシスタントを募集していたのだ。
これはきたぞと。僕はすぐさま連絡を入れさせて頂いた。
だが、答えはNO。もちろんそうだ。
こんな、得体の知れない当時20歳の和歌山県民。
写真の学校にも通わず、アシスタント経験も無い男なのだから。
もう会社も退社していて、振り出しに戻った感じがしたのを凄く覚えている。
だが、ここが僕の良い所であり、悪い所にも成りうるが、図太く、諦めの悪い性格なので
数日後、もう一度連絡をさせて頂いた。
吉川さんも何度も連絡してくるから一度会ってみようと思ってくれたのだろう。
その後に軽く食事に行く事になった。
集合場所は大阪にある事務所で僕にしては
これからの人生を左右するビッグイベントという事もあり、緊張していた。
扉を叩き、事務所に入ると吉川さんは驚いた顔でこちらを見ている。
僕は吉川さんと会う前のやり取りで「顔がはっきりわかる写真を送って欲しい」と言われて何を
思ったのか黒髪クルクルのおまけにメガネ付きの写真を送信していた。
が、来たのはど金髪ストレートの男。
どう考えても大阪のヤンキーが不法侵入して来たと思うのも仕方がない。
しっかり名前を伝え、軽い会話を交わしながら、食事をするお店まで2人で歩いた。
そこでお店を目の前にして吉川さんに2択の選択を迫られた。
左手には確かカレー屋だった様な(イタリアンだったかも知れない)右手には夜は海鮮居酒屋、
昼はランチ定食をやっている店だった。
吉川さんに「どっちが良い?」と一言。
僕の最初の試練だったのかもしれない。
海鮮のランチの方でと言ったが、どう考えても話をするには
大丈夫か?という場所だった。入ってしまったのは仕方がない。
と食事をした後、外に出て、また事務所の方へと歩いていく。
帰り道に「アシスタントお願いね」と言ってくださり、
僕が写真を始める本当のスタートとなった。
「でもあそこのお店選ぶのはミスったね笑」と
笑いを交えながら喜びを噛み締めて帰って行ったのを今でも鮮明に覚えている。
なので、写真についてなにも知らない僕を拾ってくれて、
色々教えて下さり、はっきりとした道を示してくれた吉川さんは僕にとって恩人だ。
そして吉川さんのアシスタントをやらせて頂くようになって、
ハッセルブラッドという名をよく聞くようになった。
吉川さんの使用するカメラもまたハッセルブラッドだった。
僕は2024年、コペンハーゲンへ
活動の場を移動させようと思っている。僕自身、これが撮りたいという訳ではなく、
どんな写真でも撮りたい。
世界を旅して色んな景色、人を写真に納めたい。
時には登山、ファッション、音楽、映画、料理に関する写真も撮っていきたい。
もちろんハッセルブラッドで。全て撮りたいというのはワガママだと思われるだろう。
そんなこと、僕が何より承知している。
だが、なんとなるさ精神より、なんとかならせる精神で頑張りたい。
またその記録を文として残し、本を出したい。
まだ何も知らない若造だが、一丁前にやりたい事は山程ある。
和歌山にいる家族や、数少ない友人。恩人である吉川さんや、
アシスタントをさせて頂く中で知り合った人達。
そしてこれから僕の壮大な人生で知り合い、
共に歩む友やいずれ結婚するであろう最愛の人。(出来るだろうか)
僕は数えきれない流れの中にいて、
沢山の人に支えて頂き、
これからの人生を謳歌する。
楽しみな事ばかりだ。
僕はまだ人生の旅路を眺めているだけだ。
坂部 楽世
